逆境を乗り越えて英語力を高める

ライフスタイル
スポンサーリンク

英語が面白くなり始めるまで

子供の頃、英会話教室などに通ったことはありませんが、中学校で学び始めてから、英語は割と得意な方でした。

趣味のルアーフィッシングの道具などが、英語名であるものが多いので、抵抗がなかったのかもしれません。

中学校時代は、あまり真剣に勉強しませんでしたが、定期試験では9割〜満点に近い点を取っておりました。

授業態度も良くなく、先生に好かれる対応ではなかったため、試験でそれなりに点を取っても、成績表にはあまり反映されませんでした。

こんな私は、内申点が何よりも重視される公立の高校入試ではとても不利で、学区で上から4番目の学校に550人中500位くらいの成績でなんとか滑り込みました。

ペーパー試験一発勝負の大学入試で下剋上を起こすぞ、と思い、高一の始めから町田の塾に通って、苦手な数学と得意の英語を学びました。

ご存知とは思いますが、塾に「通う」だけでは成績が伸びず、それに合わせて予習・復習をすることによって始めて伸びるのです。

いっそ、学校の授業の予習・復習をした方が、無駄なく効率的に伸びると思います。

それでも余力のある人が、塾に行くのがいいと思います。

特に、数学などは、学校がやっている範囲と塾がやっている範囲がバラバラだと悲惨で、どっちつかずで、両方ともダメになる事態も考えられます。

どちらかを完璧にするのがいいと思います。

そんな感じで、高2の夏休み明けの数学のテストでは、0点を取って、「理系に行くんでしょ?大丈夫?」と学校の先生に言われる始末でした。

英語は、、、それなりでしたかね。

偏差値で言うと、60そこそこだったのではないかと思います。

学校での評価(成績)は、10段階評価で8か9と言ったところでした。

高2も終盤になり、塾の勉強にも身を入れ始めた頃、担当の先生が東工大を出た副塾長になり、基本同士を使っていろんな表現をしたり、150くらいの構文で英語の全体観をつかませてくれたりして、面白くなってきました。

自分でその英文をノートにまとめたり、単語カードに書いたりして、しっかり覚えるようになってきました。

それに応じて成績も伸びてきて、高3の始めには、英語・数学ともに「選抜クラス」でスタートすることになりました。

友人から、「君は絶対現役合格するよ!」と言われるまでになりました。

方向転換

選抜クラスでスタートしたのはいいものの、数学は基礎がなっていないため、全く分からない。

しかも、一般クラスに好きな子がいたので(笑)、自分から志願して一般クラスに落としてもらいました。

この当時の偏差値は、英語が60ちょっと、数学は50前後だったのではないかと思います。

学校では、「私立理系クラス」に在籍していたのですが、将来を考えるにつけ、違和感は拭えず、夏休み前に文転することにしました。

私立理系から、私立文系に。

苦しかったですね。

学校では理系の勉強をして、塾と自学では文系の勉強をする。

古文なんて、「切って」しまっていたので全く分からず。

英数国で私立文系を目指し、志望校は、上智と青山にしました(生意気にも、青山は滑り止めのつもりでした)。

塾の先生同士の人間関係にも嫌気が差して、塾を変えることにします。

今はもうありませんが、「ソフィア早慶予備校」という、難関大学専門予備校に移って英語と数学を学ぶことにします。仲の良かった古文の先生は、前の予備校で学び続けることにしました。

塾を変わってから〜浪人が決まるまで

自学では、旺文社の「英文法問題精講」をやりました。

これ、出題形式別になっていて、項目はランダムに出てくるので、結構難しいんですよ。

最初は全然できず、泣きそうになりました。

それでも、5回・6回と繰り返していくと、さすがに最後の方は問題自体を覚えてしまい、どのページのどの辺にはあの回答がある、と記憶するまでになってしまいました。

それでも、結構力はついたと思います。

合計で7回ほどやったでしょうか。

これは、その後の自分の英語の基礎力となってくれたと思います。

また、「ソフィア早慶予備校」では、通常の英文法の授業の他、洋書購読やチューターが時間を測って速読のテストを受けるなどの先進的なシステムがありました。

洋書購読は、パラグラフごとに要旨をまとめるのですが、要約などできなかったので、一旦全訳した後、要約をするという要領の悪いことをしておりました。

それでも、これをやることにより、英文を読み込む力はずいぶんついたと思います。

実際、学校全体で受けた模試でも、文系では3位という結果をもらっていました。

この年の入試は、神奈川大学給費生入試、上智と青山を受けましたが、全敗という結果でした(青山は行けるかと思いましたが、甘かったですね)。

覚悟はしていたものの、浪人が決まった時はショックでしたね。

しばらく大阪の親戚の家に身を寄せて、気晴らしをしつつ、旺文社の「英文問題精講」などを解きました。

英文の写しをノートに貼って、S, V, O, C, Mの要素に分けて文型をとり、一文一文和訳していきました。

この勉強法は、かなり効果的でした。

予備校は、模試の結果で河合塾の私立上位クラスに入れるということで、河合塾に行くことにします(ソフィア早慶予備校も考えましたが、大きなところで勝負をしてみたかったこともあります)。

それまで、学校では私立理系の勉強、塾と自学では私立文系の勉強というふうに力が分散してしまっていたので、受験勉強一本に絞れる予備校の勉強は快感でした。

通勤電車に1時間ほど揺られるのが苦痛ではありましたが、、、、。

「将来は、通勤電車に乗らずに済む生活がしたいものだ」と思ったものです(この夢は、ほぼほぼ実現しました)。

朝、電車の中で古文単語、早めに登校して現代文予習、授業が終わったらその日の復習、それが終わったら、地元の図書館に行って自分で参考書の勉強、というふうに、常に周りに人がいる環境に身を置きました。

家ではあまり勉強しなかったですね。

英語は、問題がある場合はそれを全部解いて、その後全て和訳をしていきました。

偏差値では、河合の模試で英語は常に偏差値73を超えていました。

代ゼミその他の簡単めの模試では、79とかだったと記憶してます。

国語と数学は大体45〜55だったので、チューターに「Espera君は、英語しか勉強する気がないんでしょ!」と怒られました。

それでも、最後の全統マーク模試では、英語が68(9割取ったのですが、周りも点が上がってくるので)、国語が激伸して73、数学は変わらず55で、3科目トータルで65となり、英・数・国では全国で四位になりました。

これは、自分の中でも大きな自信になりましたね。

この年は、7つ受けて5勝2敗(立教の偏差値低めの学部に落ちました)、第一志望であった立教大学法学部国際比較法学科に入学することになります。

大学に入学してから

入学式に体育会ボクシング部に入部してからは、部活やおつきあいに忙しく、そんなに勉強した記憶はありません。

授業もまあ、出ていた方かとは思いますが、試験前に無理に詰め込みすぎて体を壊して試験が受けられなかったり、レポートを出せなかったりと、あまりいい生徒ではなかったと思います。

2年になり、部室が池袋から志木に移転するとのことで、「ボクシングは辞めようか」と思ったのですが、1戦して1敗でしたし、周りからも応援されて、一人暮らしをしてボクシングを続けることにします。

親から仕送りをしてもらうことになったので、「時間を無駄にしないようにしよう」と勉学に励むことになります。

授業は全て出て、自分でノートを取り、空いた時間は、NHKのラジオ講座(カセットを購入)、Newsweekを定期購読などしました。

ちょうどその頃、新聞で「海外で日本語教師に」という記事を見て、「将来は日本語教師に」という目標を持つに至ります。

本当は、予備校時代の思い出が良かったので、予備校講師になるのもいいかな、と思ったのですが、少子化傾向が明らかでしたし、立教では、予備校講師としては弱いかな、と思い、日本語教師を目標として定めました。

そんな目標があったので、TOEICの参考書も買って勉強してました。

この頃、家庭教師で高校三年生の男子に英語を教えることがあり、こちらが一生懸命に教えると、これに答えてくれ、自分も成長する喜びを覚えました。

ますます、「教える」仕事に惹かれるようになります。

ところが、、、。

いろいろなことが重なり、ボクシング部を続けることになります。

3年生になっても、授業には出続けて、英語の勉強も続けておりました。

3年で全単位を修了し、4年次は一度も授業に出ずとも卒業できる状況だったのですが、ボクシング部で副将になってしまったこともあり、抜けられず、、、。

4年次は、今日にもある授業だけ撮っていたのですが、最終的には「ボクシング一本に絞るため」という理由で、全て出席しなくなってしまいました。

それよりも痛恨なのが。

就職をしてしまったんです。

これも、ある事がきっかけで。

「このまま一人で夢を追う人生はツライ」と思って、日和ってしまったんですね。

ボクシング部の先輩の伝を頼って内定を獲得したものの、「夢をあきらめてっしまった。今までの努力が無駄になってしまった」という、自分自身にがっかりした気持ちがありました。

それ以来、英語の勉強も辞めてしまいました。

内定をもらった会社に招集されて、夏にTOEICを受けました。

早慶など、自分よりも上の大学に行った同期が討ち死にする中、私は615点を獲得することができ、会社に無駄に期待をされ(体育会ということもあったのでしょう)、同大学出身の三人中、唯一都内に配属が決まりました。

615点は、受けた中では悪くない点数だったのですが、自分は納得いってなかったので、卒業前にもう一度自分で受けました。

その得点は725点でした。

当時の商社の海外勤務の基準スコアが720点だったので、それをクリアする点数ですね。

当時「ビジネス英検」というのがあり、それを受けてみると、「B級」という判定でした。

今は、NHKの英語講座もアプリで受講できて、便利になりましたよね。

大学時代から愛用している「ジーニアス英和辞典」。

当時は、「中辞典」というものがあり、それを愛用してました。

一旦会社に入社し、英語から遠ざかる

大手の保険会社に入ったものの、まあ、これが見事なまでに適性がない。

金融って、特殊な世界ですよね。

自分も、「嫌だな」と思いながら働いていたこともあり、全然ダメでしたね。

都内に配属してもらった恩もあり、なんとか2年は踏ん張りますが、それが限界でした。

「1日も早く辞めさせてくれ」と上司に懇願し、大慌てで群馬の塾に転職を決めます。

[6] 群馬の塾でキャリアをスタート、高校部を立ち上げる。

本格的な塾講師の経験はなく、多少の苦労は覚悟の上でしたが、そこで待ち受けていた試練は、予想以上のものでした。

まず、英語担当のつもりで、筆記試験も模擬授業も英語でやったのですが、実際に配属されて告げられた担当は、「数学・国語」でした。

これが嫌で嫌で、でも、なんとかこなしつつ、チャンスを到来します。

すると、同校舎で「高校部」を立ち上げるというので、その英語担当に立候補します。

しかし、、、。

そんなに甘くないんですよね。

ご科目を複数の先生で担当する中学校の講師とは違って、高校は単科制。

授業がつまらなければ、すぐに生徒は辞めてしまいます。

男子校クラス、女子校クラスとあるのですが、男子校クラスはなんとかなっていたものの、女子クラスは生徒が半分くらいに減ってしまいました。

この時は地獄でした、、、。

同時期に、英検準一級は受けて、受かっておりました。

とにかく教材研究をし、自分自身も勉強し、授業準備を徹底して、なんとか形にしていきました。

TOEICも並行して受けておりましたが、800点をちょっと割るような点数でしたね。

当時は、文法を中心に勉強してました。

あとは、対策問題を解いたりとか。

もっと、音声に力を入れるべきでしたね。

複数の塾で修行し、独立して予備校講師へ

群馬の塾ではとても厚遇されており、社長も大好きでしたが、いろいろ事情がありまして、、、(こここには書けません)。いくつか、塾を経験することになります。

「いつか大学受験予備校講師(英語科)として独立したい」という目標を持ちながら。

思ったよりも、早いタイミングでそのチャンスが来て、東京にある現役生専門難関大学受験予備校と、神奈川の中堅予備校に出講する事になります。

この時点で、キャリアはそれほどでもない(トータルで4年やっておりましたが、中学生指導も込みの年数です)ので、期待半分・不安半分といったところでした。

フリーの予備校講師だったので、いろんな予備校で授業を担当をさせていただきました。

仕事量の調整が難しく、一度断ってしまうと、次からなかなか仕事が回ってこなくなるので、来た仕事は原則として全て受けることにしておりました。

ひどい時には、月曜の朝一から午後まで川崎で3コマ、それから仙台に新幹線で移動してホテルに泊まり、翌日朝一から3コマ+現役生(東大クラス)1コマ、それから新幹線を使って川崎まで帰って徹夜で予習して、翌日朝一から町田で講義、なんてめちゃくちゃなことをやっていた時もあります。

授業中に気を失ったこともあります。

生徒に、「ゴメン!今、どこやってたっけ!?」って聞いて(笑)。

体が辛いので、当時は鍼の先生のところに通っておりましたが、先生から、「このままでは死ぬので、仕事は辞めなさい」と言われてました。

仕事自体は楽しく、充実してましたが、「これは持続的な働き方ではないな」と思い、結婚も視野に入ってきたため、新たな道を模索します。

予備校の仕事は少しずつ続けながらも、以前から興味のあった不動産業界に、営業として入ります。

予備校講師時代にもTOEICは受け続け、当時に自身最高の910点を挙げます。

予備校講師時代からお世話になっている「ロイヤル英文法」。

最後の拠り所として頼りになるパートナーです。

営業の仕事を始める、それでも、英語は辞められない

営業の仕事もそれなりに面白く、儲かりもしたので、それなりに続きました。

営業の仕事に没頭している間、あまり勉強もできなくなっていたので、持っている参考書類を全て知り合いの先生に譲ってしまいました。

しかし、営業の仕事が落ち着いてくると、、、。

やっぱり、英語を勉強したくなるのですね。

少しずつ、買いためていくと、以前とほぼ同じくらいの量が溜まってきます。

そして、いろんなご縁が重なり、「自分で塾を開設してみてはどうか」と勧めてくれる人がいました。

四人目の子供の出産なども重なり、正社員での会社勤めは難しいので、いいタインミグだと、その話に乗ることにしました。

それからは、猛勉強です。

まずは、これから。

関先生は、誰に対してもわかりやすい授業をてんkないしますね。

このシリーズも、人気ありますよね。

「まずは基礎から」と思って買いましたが、まだ手を付けていません。

いずれ、、、。

普通の問題集では物足りないので、やっぱり難しめの問題を解きたくなってしまいます。

公式問題集は、問題形式や事態が同じなので、安心感があります。

値段は少し高いですけどね。

解法のプロセスを丁寧に説明してくれます。

学習者用の英字新聞。

月に1600円ほどで購読できるので、お得です。

TIMEやBUSINESS WEEKを購読していたこともありますが、高いですよね、、、。

生の英語に触れることも大切。

洋書も読んでおります。

植田先生の参考書は、ハードな内容が多いですが、効率面も考えられています。

昔っから、利用してます。

辞書も、廃盤になったりするものもあって、買えるうちに買っておいた方が良いですね。

和英もあると便利です。

現在は、私の大好きな「京都大学」の和訳を動画で流しつつ、自分の好きな勉強を続けております。

塾開業を決めてから、猛勉強をしつつTOEICを2回受けましたが、自分の最高得点は抜けなかったものの、近い点数は取れました。

一度、ある程度の点数を取っておけば、そのレベルまで戻すのは、そんなに難しくないですね。

二度めで最高記録を抜けるかな、と思ったのですが、事情により、徹夜明けの試験になってしまい、集中力が続かず、一度めを抜くことはできませんでした(でも、それなりに高得点を取ることができました)。

TOEICは、英検と比べて受験料も安く、回数も多いので、自分のレベルチェックに最適ですね。

あなたも受けてみてはいかがでしょうか。

Espera

コメント

タイトルとURLをコピーしました